あれだけ頑なに己に被せた蓋を開けようとしなかった日々は過ぎ去り、いま、宿痾の花の蕾が開こうとも、わたしはその花が飛ばす花粉をそのままに漂わせて生きている。
生きられている。
誰にもこの花の存在自体を見せずに死ぬんだと思っていた、そういう生き方や死に方をしなきゃならないと思っていたティーンエイジ、その頃のわたしに今のわたしの様子を教えてみたら、軽蔑されるんだろうな。
そう思うわたしだったからこそ、抑圧の日々を経たからこそ、いま掌に在る切望、信頼、情動、すべてが一等輝いて感じられる。
抑圧から解かれたいま、わたしは幸福で、その幸福を齎してくれるものに対する感謝は計り知れない。
涙が出る。幸福を実感する度に、だれかを心底好きだと思う度に、いまのわたしの座標をおもう度に。
信頼感を抱くことがこんなにも尊いなんて知らなかった。愛情を伝えられることが、体温を知れることが、受け入れてもらえることが。
ああ、宿痾の花は枯れたんだ。季節が巡る最中のように、枯れたんだ。
それじゃあ、花殻を摘んで、最善の過渡を願って。