羽虫

四時間ぶっ通しで泣き続けたせいで頭が痛い。甘ったるいチョコレートしか食べていないはずなのに便器に滴る液体はやけに酸味が強い。

 

わたしに同じことを言った二人の、しかし後に謝ってくれた一方のことを思い出してかれこれ四時間泣いている。謝るどころか水掛け論をふっかけてきたもう一方のせいで泣いているつもりでいたが、涙がバタバタ溢れだすのは優しいあの人のほうを思い浮かべた時だと気づいた。

 

優しい人が優しくあろうと心がけたきっかけや経てきた過去のことを考え出すと心苦しくて仕方ない。優しい人が怖い。優しい人しか信用できない。優しい人が好き。優しい人になりたい。優しい人がその優しさゆえに取り残されているところに気づいたら、わたしの優しさでその人を追いつかせることができたら、と、おこがましい事をつねに望んでいる。

 

日に日に泣く頻度が高くなっている。一人で泣くためにわざと終電を逃し号泣しながら夜道を10キロ歩いて帰る日すら度々発生している。バイト先の人はみんなやさしい。奇跡みたいにやさしい。すごくうれしいけれどすこし困る。わたしをふつうに扱うひとにもやさしくいたいけれど、わたしをやさしく扱ってくれるひとがいるならば、そのひとにわたしから返すものがただのやさしさだけじゃ足りなくなってしまう。

 

たまに やさしいね と言われるとき、その褒め言葉を当たり前のように受け入れがちだが、たぶんわたしはやさしいんじゃなくて過敏なだけだ。過去の抑圧がわたしの精神の解像度を無駄に高く形成し、ふつうは認知できない小っさな羽虫なんかを見つけては、その羽音に日々煩わされる。そんな小さな羽虫に気づけてやさしいね、と言われても、べつに意識して気づいてるわけじゃない。気付いてしまったからには無視できなくなっただけだ。初めから気づかなかったなら、きっとわたしも皆のようにちいさな羽虫なんか見つけようとしないだろう。

 

優しい人は強い。そして強い人は知人ひとりのそう重くもないやさしさのことで4時間も泣きつづけない。

 

ただの病気。

 

前提が違うというあたりまえのことが今はとてつもなくきびしい。きっとわたしはこれからも一人でしか泣けないのだろうと思う。