果実と蝿

例えばあなたが宝石のような果実だったとして、それはいつか腐り果てて変貌するとしても、それに惹かれた蝿が幾つも集ろうとも、あなたが宝石のように煌めいているいっときのことをわたしは尊び、そしてそれに惹かれた蝿がわたし自身であることを強く深く自覚して、きっと蝿らしく甘い果汁を舐めるだけ舐めて去るのだろう。

わたしは、わたしとして生きると、かならずあなたを裏切る。

だからそのてのひらでわたしを叩き潰して。

蝿には蝿に相応しい死に様を刻み付けて。

 

とか言ってきっと蝿として生きることすら烏滸がましいわたしは、穢れたわたしを、直視するたびに、ああ死ななきゃいけないんだ、と思いながら、幾度も明度に導かれ、しかし暗闇を曳き連れたこの翅は、あなたの美しい視野を、あなたの明るい未来を、遮断するように覆い被さってわたしの暗色に染めてしまうのだろう。

自分の罪悪から逃げ遂せることはできない。あなたをわたしは傷つける。わたしが、あなたを、傷つける。わたしが。わたしが。そういう日々を送ってきた。実際に何度も裏切ってきた。

それでもまた、言い訳のように都合のいい解釈を頭の隅に置きながら、けれど罪悪の気配を振り払えずに、異常者に振り切ることもできずに、ただただ不誠実な己の心情を虐げて、虐げてもなお、そいつはのさばりつづける。

だってわたしがわたしだから。

異常な形成を成したから。

とっくのとうに。

女の子

わたしは強迫観念にとらわれて白い服を着ては脱いでを繰り返し鏡の前から動けなかった日々を通過して、それができればどんなに楽だろう、と思っていた花柄のワンピースを着るという行為がいまやできるようになった。

わたしが何を言っているのかわからないでしょう。わたしは花柄のワンピースが着られなかった女の子だった。それは自分に似合わないだろうから、だとか、系統の問題じゃなくて、もっと本能的な精神の澱に関係する部分でのはなし。

この文章を打ち込んでいるわたしは今ピンクの小花柄のワンピースを着ている。あの日できなかったことをできるようになった今で、それでもまだできないことを数える。

楽になりたい。もっともっと楽になりたい。

こんなありさまにもかかわらず、わたしは未だ、爪先から髪先まできれいで、歯を見せて笑うことができて、夏に袖のないワンピースを着られる、そういう女の子になる未来をばかみたいに夢想している。

わたしをボロ雑巾のように捻って捻ってあげくの果てに千切りやがったあの日々は呪いだけれど、こんな女の子になろうだなんて夢想せざるを得ない今だって呪いは続いている。

ああ、ああ。ふつうになりたかった。もうなれないとわかっているよ。もうなれないよ。ああ。

 

共鳴と切望

言葉の枯渇か、昇華の方向性の変化か、どうとも取れるだろうけれど、噴水のように言葉が湧き上がるような日々はもう送っていない。伝えたい言葉を暗号に変換して綴ってきたこのブログも、更新が滞っているのは、伝えたい言葉とやらはもう伝えたい相手にまっすぐと伝えられている日々だからかもしれない。

言葉が湧き上がって仕方なかったころのわたし、あなたがいまのわたしの様子を知ったら笑うでしょう。わたし、あなたが切望しているものを今この掌に受けているんだよ。ありえないと嘲る?羨ましいと嫉む?幻想だと一蹴する?そのどんなひねくれた眼差しが向けられようとも、あなたは未来で切望をきちんと受け取れるんだよ。それを享受する器として、生きられている。ほんとうのことだ。

自分の生き様を肯定できる自分がいなくとも、受容して抱きとめてくれるだれかがそばにいてくれる、そんな未来があなたには待っている。それが刹那に終わるとしても、わたしの人生のたしかなともしびとなる。かすかであれど灯りつづける、おおきなおおきな幸福、待ち焦がれた切望の獲得の訪れ、それは紛れもない共鳴のことだ。

書きなぐり壁に貼った「共鳴と切望」の文字。わかっていたんだ、何を望むかを。わかっていた、なにが自分にとって幸福かを。

宿痾の花は枯れた

あれだけ頑なに己に被せた蓋を開けようとしなかった日々は過ぎ去り、いま、宿痾の花の蕾が開こうとも、わたしはその花が飛ばす花粉をそのままに漂わせて生きている。

生きられている。

誰にもこの花の存在自体を見せずに死ぬんだと思っていた、そういう生き方や死に方をしなきゃならないと思っていたティーンエイジ、その頃のわたしに今のわたしの様子を教えてみたら、軽蔑されるんだろうな。

そう思うわたしだったからこそ、抑圧の日々を経たからこそ、いま掌に在る切望、信頼、情動、すべてが一等輝いて感じられる。

抑圧から解かれたいま、わたしは幸福で、その幸福を齎してくれるものに対する感謝は計り知れない。

涙が出る。幸福を実感する度に、だれかを心底好きだと思う度に、いまのわたしの座標をおもう度に。

信頼感を抱くことがこんなにも尊いなんて知らなかった。愛情を伝えられることが、体温を知れることが、受け入れてもらえることが。

 

ああ、宿痾の花は枯れたんだ。季節が巡る最中のように、枯れたんだ。

それじゃあ、花殻を摘んで、最善の過渡を願って。

並行の線

隣で眠る貴方を見ていた。なぜわたしの前でそんなに安らかに眠れるのかわからなくて、その瞑られた瞳の綺麗な並行の線を見ていた。

 

誰もわたしをわたしの望むように抱擁できやしないだなんて、なぜあれほどまで自己の何かを守るように思い続けていたのかわからなくなった。

 

わたしはあなたに差し出された手を掴んで、ともに駆け出した。それはわたしこそ人並みの情欲をもっていたからにほかならず、その薄ぼんやりとした穢らわしさから逃れたくて、拒否を示すことで清潔な自己というまぼろしを自分に見させていただけだった。

まぼろしはこなごなに砕けて、でも砕けたからこそわたしの隣には眠る貴方がいる。

どうしても、幸福、だと思う。

そういう星の元にうまれたわたしたちが、それを自覚しながら生存の際の罪をすこしでも増やさないために、あえておこなわないことを数えて、その数からなる己らの浮浪具合にくるしみながらも、そうとしか生きられないのだと、そういう生き方をわたしたちはみずから選んだという覚悟をもつ。

そのなかで貴方から与えられうる、優しさを、貴方特有の言葉を、幸福のすべてを、全部全部とりこぼすまいと意地を張るほどに食べ尽くして、前提である破綻がどのようなものだとしても、最善の破綻に向かえるように努め、そのときは、何も感じないなんてことが出来る器用なたちではないわたしが、そのときはどうか、どうか、いちばんおおきなありがとうが言えますように。

かつて

かつて憧憬だったあの冬へ、かつて切望だったあの人へ、かつて共鳴したあの確信へ、

濁りを増して、消えるのではなく覆い隠すよう。わたしの切望は形を変えて、いまも胸元で蟠ってる。その蟠りだけがかつてと何も変わらない苦しさをわたしに与え、その苦しさが己の切実さの証左になる。

わたしの建ててきた塔はあまりにも脆かった。誰も私を私の望むように抱擁できやしないなんて高慢な勘違いだった。自分に信念があると思い込んでいた。それはやすやすと波に飲まれてしまう程度のものだった。

わたしの愛着は狂っているのだと思い知らされて泣いていた。切望の矛先にふれるには身体が邪魔だと思ってきたはずなのに、ドンキの毛布の皺が波みたい。

導火線、共鳴

導火線を編む、編む、編む、編む、編み続けて続けて続けて気が狂いそうになっても編んで編んで編んで編んでまだ足りない。既に編んだ部分をちぎられてまたふりだしへ、そんな落胆ばかり。

考えてきたことが価値を持たないなら、苦しんだことが反動にならないなら、独りでいたことが昇華されないなら、わたしは何を見据えて生きればいいのだろうか。

あなたはわたしに纏わりつくものがなんなのか、わかりますか?意思に反してもそばにいて、引き剥がせば皮膚ごともってかれるような、既に血肉となりこの身を循環しているような、その存在を放映した、軽いキャンバス、安い画材、キャッチーな色彩、の、酷い重さが、あなたにはわからない。 

でもね、わからないでいてくれるからこそ、共鳴を得た刹那がいっとう輝く。ああ、美しかった。身体をひらいて臓器を見せる、そうして魅せる、その臓器にふれるゆびさきを持てる者だけのために、わたしは生きる、共鳴が輝る、その一瞬を籠にとじこめて、心に抱いて生きていく。