揃えた指輪もお気に入りの柄のパジャマも共有し得た愛情さえもぜんぶ機能せず、殺してくれよとあたりかまわず喚き散らしたい時があるって、きっとあなたはわかっていたんだね。
けれどあの日わたしがガラスを蹴り破りながら叫んだことばは「殺して」ではなく「助けて」で、それでも、それを誰が聞いたとしてもあからさまな救いがもたらされることはないと明白だった。
10代の頃からあからさまな救いというものがもたらされることに思いを馳せながら、しかしどこかでそれはありえもしない絵空事だとわかっていたように思う。
わたしはいつも去る側として存在していて、去る側の身勝手かつ切実な悲壮しか知らなくて、だからきっと、関係性を裏切るのはこれまでもこれからも私の方なのだろう。
生きたいのはやまやまですが、生きられないんだよ。きっとそう。わたしは自分のことさえ最後には裏切って、潜在するすべてをコンクリートで埋めるように諦めてしまう。そんな気がする。